Day 14 懺悔
明日は移植の日です。
採卵から2日後。
通常なら、採卵から3日後に移植なのですが、わたしの場合年齢も年齢だし、うまく育たない可能性もあるので、早めにおなかに戻してしまおうという考えのようです。
もし移植できる受精卵がなければ、明日の12時までに電話がかかってきます。
審判を受けるような心持ちです。
今日は、わたしのこころにずっと引っかかっていたことを書いておこうと思います。
しばらく前のことですが、友人が死産しました。
わたしはいつものように、「友人ちゃんヒマかな〜。いっしょにごはんでも食べないかな〜」と思ってメールしたところ、「ごめんね、実は入院してるの」との返事。
もちろん妊娠していたことは知っていたので、すわ切迫流産か?と思い、でも詳細は聞かずお見舞いメールをしたところ「実は、赤ちゃんが死んじゃったんだ」と返事が来たのでした。
言葉を失いました。
なんと声をかけたらいいのか、全く分からず呆然としていると、気丈に振る舞う友人のメールが続いて届きます。
「おなかの中でも赤ちゃんは外の音を聞いているから、きっとF子ちゃんがかけてくれていた言葉も聞いていたと思う。不安になってたとき、励ましてくれてありがとね」
わたしは泣きました。
わたしはちゃんと、友人にあたたかい言葉をかけていただろうか。
友人は、突然の自然妊娠でした。
その報告を受けたときは、素直に「おお!すごい!よかったね」と思えたし、言えました。
でも、やっぱり、嫉妬もしました。
友人のライフスタイルを思えば、そりゃ自然に赤ちゃんできるよな〜と納得しつつも、でも、なんで、わたしは?という気持ちも首をもたげました。
わたしは、なんで?
彼女は、なんで?
嫉妬はしたけれど、不幸は望んでいなかったのに。
友人の死産の報告を受けたとき、最初に嫉妬した自分を恥ずかしく、情けなく思いました。
みんな、子供が欲しい。
みんな一緒なのに、自分がうまくいかないからって、いじわるで、心の狭い、ちっちゃい自分が恥ずかしく、悲しくなりました。
友人の気持ちは、想像もできません。
軽々しい励ましもできません。
ただ、友人の気持ちが落ち着くまで、そっと見守っている状態です。
最近になって、流産してしまった方のブログを読む機会ができました。
そのひとつが、天使ママさんのブログです。
けっこう壮絶な体験をされています。
流産は辛い、大変、というのは分かっていましたが、これほどまでとは思いもしませんでした。
他の、読者登録させていただいている方のブログも、毎回考えさせられています。
そうしてやっと、赤ちゃんが空へ帰ってしまったひとの気持ちを知ることができました。
どのように感じて、どのように考えたらいいのか分からなかった友人の気持ちや、状況を、すこしだけ想像できるようになりました。
それでも、励ますなんて恐れ多いことは、まだできなくて、前を向いている方々を尊敬し、かならず喜びを手に入れてほしいと願うばかりです。
自分の愚痴と、独り言と、忘備録にするつもりで始めたこのブログですが、最近は読んでくださっている方や、スターに励まされるようになりました。
わたしはいつも、教えてもらってばかり、いただいてばかりです。
いつかなにか、受け取ってもらえるものができたらと思っています。